「御城印は芸術」がコンセプト

上州十二市群馬城御城印

  • 群馬県に十二ある市を代表する城名すべてを記載
  • 群雄が奪いあった地として関係する勢力の家紋を配置
  • 全柄全色『蓄光』使用
  • 揮毫はすべて市職員が担当
  • 背景をデザイナーsinobu氏が担当
  • 裁断なし、壮観の一枚もの

安中城

安中城(安中市) 1559年、安中重繁により築城。しかし1562年に安中氏は武田氏に降伏、後北条氏との最前線の城となる。1590年、小田原征伐により一旦は廃城となるが、井伊家が入封し安中城は改築された。

伊勢崎城

伊勢崎城(伊勢崎市) 旧名赤石城。後北条氏の支配下にあったが、長尾景虎が攻略。1561年、由良成繁が所領を伊勢神宮に寄進し伊勢宮を守護神としたため「伊勢の崎」と言う地名にかわり、伊勢崎城に。

厩橋城

厩橋城(前橋市) 1534年、長野氏により再築。長尾軍が攻め取るが、のちに小田原北条・甲斐武田の連合軍により攻め落とされる。その後は上杉、織田、後北条、徳川など激しく支配が入れ替わった。

館林城

館林城(館林市) 1532年、赤井氏築城。のちに上杉氏が追い出すが、謀略により北条氏が支配。1590年、石田三成の降伏勧告により開城、榊原康政が城主となる。稲荷の加護により、武力では落とせない城として有名。

桐生城

桐生城(桐生市) 1350年、桐生国綱築城。桐生氏は上杉方に従い、後北条方の由良氏と争う。1570年頃に両者の対立が表面化、由良氏が桐生城を攻め落とし桐生氏を追放。1590年、後北条氏の滅亡に伴い廃城。

五覧田城

五覧田城(みどり市) 黒川郷士により築城。沼田方面からの敵の侵入に備えた要衝として、争奪戦の舞台となる。1574年に上杉謙信が攻略するが、同年に北条方が攻め落とす。1590年の小田原征伐により廃城。

高崎城

高崎城(高崎市) 旧名和田城。1561年当時の城主和田業繁は武田氏につき、上杉氏の度重なる侵攻に耐える。1590年、前田利家や上杉景勝らの連合軍に包囲され落城。1597年、跡地に高崎城が築城された。

渋川城

渋川城(渋川市) 1572年、渋川地衆により築城。真田幸隆らの武田勢が、白井城侵攻のための拠点とする。武田勢に白井城を奪われた長尾憲景は、 後に八崎城から出陣し白井城を奪い返した。

沼田城

沼田城(沼田市) 1532年、沼田顕泰築城。 景虎(謙信)が沼田城を落とすが、謙信死後の内乱に乗じて北条氏邦が支配。要衝の地として、その後は武田、後北条、上杉、真田などで激しい争奪戦を繰り広げる。

太田金山城

太田金山城(太田市) 新田一族の岩松家純が築城。1528年、岩松氏に仕える由良氏が下剋上を起こし奪う。上杉謙信が幾度となく攻城するも落とせず、難攻不落と謳われた。1590年、小田原征伐により廃城。

藤岡城

藤岡城(藤岡市) 別名芦田城。1590年、徳川家康に仕える芦田康勝が築城を開始。しかし1600年、康勝は囲碁の最中に言い争った小栗三郎を刺殺し改易となり、築城途中に廃城。まぼろしの城となる。

富岡城

富岡城(富岡市) かつての富岡氏本拠地。のちに現在の群馬県邑楽郡へ拠点を移し「小泉城」となる。富岡一族は上杉謙信や後北条氏などの勢力下で活躍するが、後北条氏傘下の1590年、籠城戦に敗れ廃城。

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